御年49歳になる大ベテラン。
28年もの間大東企業の最前線を走ってきた徳永板長の歴史を振り返りながら、
将来料理人として活躍したい君にメッセージをおくれたらと思います。
徳永料理長の軌跡
高校卒業後、九州地方佐賀県より上京し、中華料理店でアルバイトをしていました。
その後も 焼き鳥屋などの店舗でのアルバイトを転々としながら、
21歳で大東企業に入社し、番屋グループの「番屋赤坂店」で料理人として働き始めました。
料理人になりたい一心で、洗い物に接客など、仕事を選ばず経験を積みました。
5年の月日を経て、「個室会席 北大路」がオープンし、
店舗異動のお願いをするも要望は通らず、有名なホテル会社から丁度よくお誘いが来て大東企業を円満退社しました。
しかし、入社直後に親方(料理長)が会社を辞めるか辞めないかの騒ぎが勃発し、
半年も経たずして、親方が辞めると同時にホテルを抜け、
いくあてを失った私は吸い込まれるように「番屋 赤坂店」に戻ることになりました。
そこからは 店舗立ち上げのタイミングで精力的に会社にアピールをし、
立ち上げの様子をみに行ったり、意見したりするようになりました。
八重洲昭和通り「北大路3号店」
最初に、八重洲の昭和通りに位置した「北大路3号店」の立ち上げに携わりました。
新人の立場から異動のタイミングで調理主任として抜擢され、
副料理長不在での店舗オープニングの貢献が認められて、のちに副料理長に昇進しました。
帝国劇場付近の有楽町店
帝国劇場ビル地下1階の「北大路 有楽町店」にて事業立て直しが必要となり、副料理長として現場入りしました。そこで現在グループマネージャーを勤める廣瀬料理長に出会いました。
この出会いが、私にとって人生を変える分岐点となったのです。
この立て直しのタイミングで始めた施策はビジネスマンランチ営業でした。
有楽町店のお向かいの店で、昼時にラーメン店が行列を作って繁盛していたのをみて、ここではお腹をすかせたビジネスマンがさっと食べられるお腹に貯まるものを求めていることに気づき、ランチ営業を始めました。
はじめた途端にお客様は列を成し、昼前の11時には売り切れてしまうほどの繁盛店を作りあげました。
ありがたいことではあるのですが、ランチもディナーも忙しく、朝早くにお店に出勤し、夜遅くまで閉め作業をするので、休む暇はありませんでした。
休日も落ち着かず仕事人間だった私は、掃除をしに店に向かっていました。
普段掃除できない店内を掃除をし、とにかくお店を心地よく使っていただけるよう働きました。
個室居酒屋 番屋 八重洲本店の立ち上げの様子
有楽町店のランチの功績により、「個室居酒屋 番屋 八重洲本店」のリニューアルオープンと同時に、料理長のチャンスをいただくことになりました。
完全個室の居酒屋をオープンするのは日本初の試みで、市場のニーズにあった商品展開を実現しました。
年間3億の売り上げを作るまでに成長しました。単価5000円でひと月に4300万の売り上げを作った時には予約のお客様で2回転、それ以降はアラカルトメニューのお客様でもう1回転するほどの繁盛店を作りあげることができました。
これを機にグループとして個室戦略を推し進めて、今では他社も真似する個室居酒屋の文化を作り上げていきました。
池袋にてラーメン店の展開にも挑戦しました。
減価率と回転率が勝負の業界ですので、
質の高いものをゆっくり味わっていただく大東企業の文化とは真逆のコンセプトで、大変苦労しました。
ダシにこだわり、半日以上煮詰めたこだわりの海老スープは伊勢海老や車海老の頭や味噌を使用する為、原価がとてもかかりました。
麺も自家製麺で、こだわり抜いたラーメンの減価率は40%で提供するなど、新業態への挑戦になりました。
「個室会席 北大路 バンコク店」の立ち上げにも携わりました。
タイでの現地の板前さんに、炭焼きのトレーナーとして備長炭の扱い方や焼き師のノウハウをタイ人にレクチャーし、海外展開を支えました。
番屋で働いている期間中に「会議弁当」事業の立ち上げにも携わりました。
製薬会社をメイン顧客に大量受注、大量納品を行い、焼肉会議弁当事業を自社工場の押上キッチンにて『唯一無肉』『マルウシミート弁当』ブランドを立ち上げ、今の『仕出し焼肉弁当』と『北大路会議弁当』制作の基盤を作りました。
銀座1丁目の自社ビル9階10階の「グランブラン」の空き店舗をカフェTHE ISLANDとして開店することになり、もともとグリル&ビアレストランだった店をガラリと業態変更させて、他の階の利用者を呼び込む施策を考えています。
まだオープンはしていないですが、大東企業の大きな柱になるようなブランドを立ち上げていければと考えています。
「マルウシミート 銀座本店」の地下一階では2021年11月に「銀座 鳥番屋」がオープンします。
そのオープニングの料理長として、厨房に立ちます。
板前自身がつくる料理も商品ですが、オープンキッチンになっているので
料理を作っている私たちも、板前としてお客様の目の前でパフォーマンスをしていく新しい挑戦になります。
単価は8000円と少し高めの設定になっていますが、それ以上の空間を作り出せればと考えています。
オープンを楽しみにお待ちください。
苦労してきたこと
まず、時間を効率的に使い、最大限のパフォーマンスを出すことには苦労しました。
料理長として、在庫管理、人材管理、顧客管理、商品管理、レクチャーをしながら、手が空いた時間には商品開発をしていました。
料理長がいない時は、とにかくマニュアル化を徹底し、外注するのではなくインハウスで安定化させることにこだわっていたので、コストと時間との戦いを常にしていました。
次に、新店オープンや立て直しの際には行列を作りたいという思いが強く、ブランディングを行っていくのが大変でした。
誰が作ってもブレないブランドを作るのは、徹底したマニュアルと、オペレーションの統一が欠かせませんでした。
そして、「作れば売れるものではないということ。お越しいただいたお客様を覚えて、お客様に合わせた料理を出す」
鳥番屋では板前がおもてなしをするので、そこに価値を作り出すのが大変でした。
自分はどんな料理人を目指したいか
次の若手の人にどんどん伝えていきながら 若手を育てていけるような、
社内でのフードコンサルティングをやっていきたいと考えています。
もっともっと仕事をできるようになって欲しいし、料理だけでなく仕事の楽しさを産んでいって欲しい願っています。
ただ雇われて、ずっと料理をするのではなく、
自分が何ができるのかを考え、自分のキャリアを見据えた行動できるようにメンタリングをしていきたいです。
私の拙い自伝を最後まで読んでいただいた方ありがとうございます。
ぜひ一緒に働くことができれば幸いです。
応募フォームもご用意しておりますので、ご連絡ください。